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サルトル関係の業績の情報をお送りください [事務局よりお知らせ]

『サルトル年報』に掲載するための情報を一括してGESに送りますので、サルトル関係のご論文やご著書、その他の情報に関して、以下の要領で5月18日までに事務局までお知らせくださいますようお願い申し上げます。
かならず日本語および欧文で
著者名、著作名、出版社名、年、総頁数。
著者名、論文名、掲載誌名、年、号(巻)数、掲載頁。
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日本サルトル学会会報第32号 [会報]

研究例会のお知らせ

 第27回研究例会が下記のように開催されることになりましたので、ご案内申し上げます。多数の皆様のご参加をお待ちしております。

日本サルトル学会 第27回研究例会
27ème congrès
de l’Association Japonaise d’Etudes Sartriennes

12月3日(土) 
La date: samedi 3 décembre
会場 : 立教大学 池袋キャンパス 5号館 5409教室
Lieu: Université Rikkyo (Campus Ikebukuro), Bâtiment 5, salle 5409
13:45 受付 Accueil
14:00~15:00 講演Conférence
池英來 지영래 (高麗大学): 言語、文体、翻訳に関するサルトルの考察について
JI Young-Rae (Université Korea) : A propos de la réflexion sartrienne sur le langage, le style et la traduction
司会:鈴木正道(法政大学)
Modérateur : Masamichi Suzuki (Université Hosei)
15:00~15:15 休憩 Pause
15:15~17:15 ワークショップ: サルトルとセクシュアリティをめぐって
Table ronde : Sartre et la sexualité
丸山真幸(東京外国語大学): サルトルと(性的)マイノリティ 2000年代の状況
Masayuki Maruyama (TFSU): Sartre et les minorités (sexuelles) : situations des années 2000
澤田直(立教大学): サルトルにおける同性愛の表象と役割
Nao Sawada (Université Rikkyo): La représentation et le rôle des homosexuels chez Sartre
司会:永野潤 (東京都立大学)
Modérateur : Jun Nagano (Université municipale de Tokyo)
17:15~17:30 休憩 Pause
17:30 懇親会 Soirée amicale

講演はフランス語で行われます(通訳はありません)。ワークショップは日本語で行われます。
非会員の方の聴講を歓迎致します。事前の申し込み等は一切不要です。当日、直接会場へおこし下さい。聴講は無料です。


研究例会の報告

 第26回研究例会が以下の通り開催されましたのでご報告申し上げます。

日時 : 7月16日(土) 13:30~17:30
会場 : 立教大学(池袋キャンパス)5号館5303教室

研究発表
「サルトルとアラン―「魔術的なもの」と情動との関係について―」     
発表者: 新田昌英
司会者: 生方淳子

この発表は、今年、東京大学に提出された博士論文の一部を紹介したものである。
サルトルと一、二世代前のフランスの哲学者たちとの間にどのような接点や相違点があるかについては、未だ大いに研究の余地があるが、新田氏はその未開拓の領域に立って、「情動の魔術的な性質」という考え方におけるサルトルとアランとの接点に目を向ける。
それによれば、サルトルは『情動理論素描』の中でウィリアム・ジェームズらの実験心理学の学説を批判する形で情動を非反省的意識として捉え直しているが、その考察の過程でアランの情念論に依拠し、さらにそれを現象学的他者論へと発展させている、という。
新田氏は、「魔術的なものとは、アランが言うように『事物の間を這い回る精神』、すなわち自発性と受動性の非合理な綜合である」という『情動理論素描』の一文を取り上げ、これを巡って「魔術」と「情念」についての二人の考え方を比較検討する。まず、引用された表現がアランの著作の中に見出されない事が示された上で、それでも、要約としては間違っていない事が確認された。次に、アランにおける「魔術的なもの」がその宗教論の中で、子どもの世界観を特徴づけるものとして記述されていること、他方で情念 passionが情動émotionに対する反省的な意識として捉えられていたことが原文に沿って綿密に論証された。これに対して、サルトルでは、非定立的な情動が定立的・反省的に捉えられた場合は、変容をこうむり、もはや情念ではなくなる、ということが喚起された。一見、対立するようだが、氏は、アランの「情念」とはまさに変容をこうむった情動ではなかったかと考える。だからこそ、情念は世界認識をくもらせ、誤りを招くものとして論じられている、というのである。
二人の哲学者の以上のような接点を、氏は単なる影響関係や誤読に基づく援用としてではなく、「出会い」として捉える。そして、その時代的な意味を今後の考察の課題として提示する。他者論への発展については、氏はサルトルがアランに対し自身の現象学的他者論に軍配をあげていると見るが、この点は十全に展開する時間的余裕がなかったようである。今後に期待したい。
アランと魔術、という新鮮な切り口から論じられた刺激的な発表であったため、会場からも、活発に質問や意見が寄せられた。魔術という原初的な思考をめぐる人類学的研究との関連性やフェティシズムとの関わりについての質問、魔術的なものと想像的なものとの比較、情動論はあくまでも現象学に至る過程での習作であり、その視座のもとで捉えるべき、との意見、「魔術的なもの」は情動論のみならず、『自我の超越』や初期小説、『存在と無』、『文学とは何か』、ユダヤ人論、ジュネ論等々にも登場する概念であり、さらなる検討が求められる、という要望も出された。                                      (生方淳子)

合評会
「北見秀司『サルトルとマルクス』をめぐって」
コメンテーター: 永野潤
司会: 清眞人

 まず北見さんからの挨拶から始まった。フーコー、ドゥルーズらのいわゆるポスト構造主義とサルトルを単純に対立させる偏見に対して、一方ではサルトルをポスト構造主義的な問題意識の祖形あるいは先駆けとして示すとともに、他方では『弁証法的理性批判』での「溶融集団」論を「複数の自律」という社会ヴィジョンとモラルとの発想源泉として捉え返すことで、ポスト構造主義の弱点――抑圧権力とそれに抗する「複数の自律」を追求する真の民主主義運動との対決線をむしろ曖昧化することに流れてしまう――をのりこえること、これが自分の執筆意図である、と。
この挨拶のなかで、彼は重要な反省点を述べた。「溶融集団」を誰をも手段化しないカントの言うような「目的の都市」としての「複数の自律」社会のヴィジョン源泉として解釈する自分の方法は、サルトル自身にあっては「溶融集団」概念が人間の手段化を否応なく生きねばならない厳しい闘争のコンテクストのなかに埋め込まれていることを軽視することに繋がるのではないか? そういう疑念と批判を回避できないであろう。この点で、さらに一段の深さをもつ思考をいま自分は要求されていることを自覚している、と。
コメンテイターの役を負った永野潤氏は、左翼文化との同伴性を外してはサルトルを語ることはできないことに注意を促しつつ、あらためて21世紀のなかで、ことに日本における左翼文化の凋落という問題と北見さんの仕事を関連付けようとした。この点では、北見さんからは廣松渉の物象化論に対して次の重要な批判が出された。自分の「複数の自律」という観点からすれば、廣松理論はおよそ個人の自律の回復――他者性の支配からの――というモラル的モチーフをもたない客観主義的偏向をもったもので、日本における新左翼文化が「複数の自律」というヴィジョンの形成にほとんど寄与しなかったことと重要な関連がある、と。なお会場からは、現在のフランスでは移民問題を軸とするマイノリティーとの連帯問題をめぐってサルトルの思想的功績の再評価が起きているとの重要な現地報告があった。また札幌大学の水野さんからは、「複数の自律」思想と後期サルトルの倫理思想との関連にかかわって、サルトルになかには自律を強調する側面とならんで、倫理の規範性にはどうしようもなく他律性の承認が孕まれると認識している側面もあるのではないか、という指摘も出された。討論がこれから、というときに時間切れとなるのはいつものことだが、いかにも残念。(清眞人記)



サルトル関連出版物

・永野潤『図説 あらすじでわかる! サルトルの知恵』青春新書インテリジェンス、2011年7月

・Jean-Pierre Boulé & Benedict O’Donohoe編, Jean-Paul Sartre: Mind and Body, Word and Deed, Cambridge Scholars Publishing, 2011年7月
本論集には、2009年7月に立教大学で行われた本会の第23回例会において発表したベネディクト・オードナヒュー(サセックス大学)、フランソワ・ヌーデルマン(パリ第8大学)、ジャン=ピエール・ブレ(ノッティンガム・トレント大学)の論考および、同年2009年9月に英国サルトル学会年次大会で発表した、鈴木正道、澤田直両会員の論文のほか、鈴木道彦会長へのインタビューが収録されています。

サルトル関連イベント

イラン・デユラン=コーエン監督の映画『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』(2006)が渋谷ユーロスペース(11月26日から)、梅田ガーデンシネマ(12月3日)などで公開されます。内容は学術的なものからは遠いものですが、ボーヴォワール目線で作られているところに新味があります。学生などに宣伝したい方は、配給をしているスターサンズがポスターやビラを送ってくれます。ご関心のある方は、学会事務局にご連絡ください。また、例会当日には、前売り券(1400円)を1300円で購入することができます。
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日本サルトル学会会報第31号 [会報]

Bulletin de l'Association Japonaise d’Etudes Sartriennes N°31 juin 2011
日本サルトル学会会報              第31号 2011年 6月


研究例会のお知らせ

 第27回研究例会が下記のように開催されることになりましたので、ご案内申し上げます。多数の皆様のご参加をお待ちしております。

日時 : 7月16日(土) 13:30~17:30
会場 : 立教大学(池袋キャンパス)5号館5303教室

研究発表
「アランとサルトルの心理学批判」
発表者: 新田昌英
司会者: 生方淳子

合評会
「北見秀司『サルトルとマルクス』をめぐって」
コメンテーター: 永野潤
司会: 清眞人

談話
 「『嘔吐』翻訳をめぐって」
鈴木道彦

総会 17:00
懇親会 17:30

非会員の方の聴講を歓迎致します。事前の申し込み等は一切不要です。当日、直接会場へおこし下さい。聴講は無料です。




GESプログラム

GESのcolloque annuelのプログラムです。日本からは、根木昭英さんが発表します。


サルトル関連出版


・ 王前著 『中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで』講談社選書メチエ、2011年6月
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日本サルトル学会会報第30号 [会報]

Bulletin de l'Association Japonaise d’Etudes Sartriennes N°30 mars 2011
日本サルトル学会会報              第30号 2011年 3月


研究例会の報告

 第25回研究例会が以下の通り開催されましたのでご報告申し上げます。

日時 : 12月4日(土曜日) 14:00~17:30
会場 : 立教大学(池袋キャンパス)5号館5323教室

シンポジウム 「サルトルのイマージュをめぐって:その射程と批判的考察」

パネラー: 
荒金直人(慶應義塾大学) 郷原佳以(関東学院大学) 森功次(東京大学大学院・日本学術振興会)
司会:
 澤田直(立教大学)

1.荒金直人 : 「サルトルの像理論における類似的表象体の実体化について」
1936年の『想像力』の中でサルトルは、心象(心的な像)を意識の中にある対象とみなす見方を「素朴な存在論」による心象の事物化として退け、ある特定の仕方で意識の外部の対象に向かう意識の在り方(ある特定の志向的構造)が「心象」と呼ばれているのだと考えた。更に彼は、心象についての議論を画像についての議論へと接続し、意識が画像を(一つの物体として知覚するのではなく)像として捉えるとき、つまりその画像が表象する対象を意識するとき、その意識は「心象」の場合と同様の志向的構造を有していると考えた。つまり、「心象」という経験をする場合も、画像を「像として」経験する場合も、どちらも意識が「像形成的」に作用しており、両者の違いはヒュレーの違いに基づくと考えたのである。ここで、画像の像経験のヒュレーは感覚与件であるとされたが、心的な像経験のヒュレーが何であるかは確定されず、これが課題として残された。
以上のことを踏まえて、1940年の『想像的なもの』(邦訳『想像力の問題』)におけるこの課題へのサルトルの取り組みを、フッサール自身の取り組みと比較しながら検討した結果、暫定的にではあるが、次のような結論に達した。
サルトルは「心象は意識である」(心象は意識の中にある対象ではなく意識それ自体である)というスローガンを掲げた。そして像一般(画像と心象)を意識の作用として定義した。しかし彼は、像経験のヒュレーとしての「類似的表象体」を(画像の場合は物理的媒体として、心象の場合は意識における超越として)実体化して解明しようとした。一方フッサールは、紆余曲折を経ながらも、「感覚もファンタスマも既に意識である」と言い(「感覚」は知覚および像意識のヒュレー、「ファンタスマ」は空想ないし心象のヒュレー)、ヒュレーの実体化を回避する。このフッサールの視点は、サルトルが自分の当初の姿勢(「素朴な存在論」に対する批判)に忠実であれば、当然到達せざるをえなかったはずの視点であるように思われる。
意識が世界を如何に受け止めるのかという問題設定を維持し、想像する意識を具体的に論じようとしたサルトルと、意識の外部を前提せずに経験の構造を解明しようとし、ヒュレーを最初から「機能上の概念」とみなしたフッサール。この差異が、心的な像経験のヒュレーに対する捉え方を左右したように思われる。(荒金直人)

2. 郷原佳以 : 遺骸としてのイメージ――サルトルに応えるブランショ
ブランショは、1951年の論考「想像的なもの(イマジネール)の2つのヴァージョン」(『文学空間』所収)において、サルトルのイメージ論に応答している。本発表では、この論考以外でのブランショとサルトルの関係性について概観したうえで、この論考のひとつの読解を提示した。
まず、サルトルとブランショの親和性を示唆するものとして、「夢」と「ジャコメッティ」という2つのテーマがある。『想像的なもの(イマジネール)』(1940)最終章におけるサルトルの夢の分析は、夢をイメージの典型的なトポスとするブランショの記述に似通うところがある。また、サルトルの2篇のジャコメッティ論(「絶対の探求」(1948)、「ジャコメッティの絵画」(1954))は、ジャコメッティの彫像のうちに観者との隔たり(distance)を見出す点で、「マラルメの経験」(1952)および「痕跡」(1963)で表明されるブランショのジャコメッティ解釈に引き継がれている。
次に、ブランショのサルトルへの反論であるが、「文学と死への権利」(1948)のなかに、作家のアンガジュマンについての『文学とは何か』(1948)の一節に対する辛辣な批判が読まれる。しかしながら他方で、同論考で「文学における2つの傾向」を語るときには、ブランショはサルトルの議論を参考にしているように思われる。
「想像的なもの(イマジネール)の2つのヴァージョン」は、従来、サルトル的なイメージ概念に対して、「遺骸的類似」と名づけられる別のイメージ概念を対置し、後者によって前者を否定しようとするものと解されることが多かった。しかし実際にはそうではなく、「ヴァージョン[versions]」という語にも示唆されているように、その眼目はイメージの二重性を示すことにある。そしてその二重性を理解するためには、レヴィナスのイメージ論を経由する必要がある。
ブランショはこの論考で、まずイメージの「第1のヴァージョン」として、「事物を否定することによって活性化させる」作用を挙げている。これはサルトルのイメージ論に基づくものと考えられる。ブランショによれば、このイメージは「不定形な虚無を人間化」する「幸福」なものである。ここで「不定型な虚無」として想定されているのが、レヴィナスの「イリア」である。レヴィナスは「異郷性」(1947)において、芸術におけるイメージは志向を対象に到達させずに感覚のなかに踏み迷わせるのだとして、そこで露呈される状態を表すものとして「イリア」概念を導入していた。そして続く「実存者なき実存」では、「イリア」を表す形象として「遺骸」を挙げたのだった。
ブランショはおそらくレヴィナスの議論から着想を得て、イメージの「第2のヴァージョン」として、「遺骸[cadavre]」ないし「抜け殻[dépouille]」をイメージのモデルに据え、遺骸は他の何ものにも類似していないが自らに類似している、という「遺骸的類似」の観念を打ち出す。この観念のもとになっているのは、やはりレヴィナスの芸術論「現実とその影」(1948)である。レヴィナスはそこでサルトルを批判しながら、イメージを、事物の真理に切り込む透明な思念ではなく、事物の非-真理を浮き立たせる不透明な厚みとして捉えた。ブランショは「遺骸」に、もはや送り返すべき何ものをも持たない不透明な厚みの現れを見て取ったのである。
ブランショは最終的に、イメージをこの2つのヴァージョンの二重性そのものにおいて捉える。すなわち、イメージの経験とは、一方では、否定作用によって事物を所有することであるが(第1のヴァージョン)、他方では、それを可能にしている否定性、言い換えれば、対象からの遠ざかり(éloignement)ないし対象との隔たり(distance)そのものによって捕らえられることである(第2のヴァージョン)。(郷原佳以)

3. 森功次 : 初期サルトルにおけるイメージと情動――フィクションの情動、情動のフィクション――
本発表は、初期サルトルの情動理論を、近年の英米系分析美学の領域で行われていた情動論争と照らし合わせることで、初期サルトルのフィクション作品観の特徴を浮かび上がらせようという試みであった。(情動論争とは〈フィクション作品観賞時の情動をどう位置づけるか〉という論争であり、1970年代以降、英米系の分析美学の領域で盛んに議論されているものである。)
第一節では、『情動論素描』『想像力の問題』の記述を手がかりに、サルトル理論における情動の位置づけを大まかに確認した。
第二節では、フィクション作品観賞時の情動がサルトル理論のなかでどのような位置づけを与えられているかを確認した。フィクション観賞時の情動は、〈意志的な情動〉とも〈対象が眼の前に本当に現実存在する情動〉とも、〈対象の現前性が薄い情動〉とも、〈完全に幻惑されている際の情動(夢の情動)〉とも区別される。
第三節では、サルトルの想像力論であまり明示的に指摘されていないひとつの事実を指摘した。それは、〈非措定的自己意識の否定的性格が保たれていること、すなわち、想像的対象によって幻惑されていないという事態が、そのまま美的距離になるわけではない〉という事実である。フィクション観賞時の情動は、〈いま観ているものが美的経験を狙いとして制作され、提示された、拵え物である〉という観賞者自身の認識に支えられているのである。
とはいえ、本発表は〈フィクション作品体験時の情動はどのようなものなのか〉という問題には、まだ直接的には答えきれていない。この問題を考えるには、戦後に発表された文献から、サルトルの文学観などが明らかにされる必要があるだろう。「拵え物」の認識は、われわれの情動的反応を根底で支えている。とはいえ、その拵え物がどのような拵え物として認識されているのかは、また別の視点から考察されねばならないのである。(森 功次)

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GESプログラム [事務局よりお知らせ]

GESのcolloque annuelのプログラムです。日本からは、根木昭英さんが発表します。


COLLOQUE ANNUEL DU GROUPE D'ETUDES SARTRIENNES

______

24 & 25 juin 2011

En Sorbonne, amphithéâtre Champollion (Paris IV)

16, rue de la Sorbonne (2e sous-sol) 75005 Paris

Organisation : GES, Florence Caeymaex & Alexis Chabot
Contact : ges.secretariat@gmail.com

Vendredi 24 juin
Littérature et adieu à la littérature

Matinée : 10h00 – 13h00

Heiner WITTMANN : Appeler un chat un chat. Sartre
et les lettres

Alexis CHABOT : L’adieu à la littérature, ou Sartre
juge de Jean-Paul

Akihide NEGI : L’art comme anthropodicée : la moralité
de la littérature chez Jean-Paul Sartre

Après-midi : 14h 30 – 17h

Claudia BOULIANE : Mobilisation et engagement : étude
comparée des Thibault et des Chemins de la liberté

Nathanaël MASSELOT : « Mobilité » du mot
et « métastabilité du langage » : Brice Parain, figure de la
phénoménologie sartrienne du langage

Gregory CORMANN : A plus d’un titre : généalogie
critique de La Reine Albemarle

Samedi 25 juin Les philosophes héritiers de Sartre

Matinée : 9h30 – 13h00

Marco GATTO : Capitalism as Totalization : the
Sartrean legacy in Fredric Jameson’s dialectical marxism

Florence CAEYMAEX: Gorz, héritier de Sartre

Raoul KIRCHMAYR : Critique du « corps fou ».
L’héritage sartrien dans la psychiatrie de Franco Basaglia

Giovanna GALLIO : Entre idéologie et réalité,
les dilemmes de la « technique du savoir
Réflexions sur Sartre, maître de Basaglia

Après-midi : 14h30 - 18h00

Yan HAMEL : Un dernier grand spectacle engagé : le
tribunal Russell

Table ronde : Œuvre et vie de Francis Jeanson, avec
Michel CONTAT, Michel-Antoine BURNIER,
Grégory CORMANN, Alexis FILIPUCCI

*

Assemblée générale du Groupe d'Études sartriennes (17h00-18h00)
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第26回研究例会のお知らせ [研究例会のお知らせ]

第26回研究例会が下記のように開催されることになりましたので、ご案内申し上げます。多数の皆様のご参加をお待ちしております。
非会員の方の聴講を歓迎致します。事前の申し込み等は一切不要です。当日、直接会場へおこし下さい。聴講は無料です。

日時 : 12月4日(土曜日) 14:00~17:30
会場 : 立教大学(池袋キャンパス)5号館5323教室
交通アクセス  (印刷用PDF
キャンパスマップ  (印刷用PDF

シンポジウム 「サルトルのイマージュをめぐって:その射程と批判的考察」

パネラー: 
荒金直人(慶應義塾大学) 郷原佳以(関東学院大学) 森功次(東京大学大学院・日本学術振興会)
司会:
 澤田直(立教大学)

演題:
・荒金直人 : サルトルの像理論における類似的表象体の存在様式について
・郷原佳以 : 遺骸としてのイマージュ――サルトルに応えるブランショ
・森功次   : 初期サルトルにおけるイメージと情動――フィクションの情動、情動のフィクション

参考論文:
・荒金直人 「サルトルの「像形成的意識(la conscience imageante)」についての研究」、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会 『慶應義塾大学日吉紀要・人文科学』No.25、2010、p.31- 55 http://ci.nii.ac.jp/naid/120002233721
・森功次「初期サルトルの芸術論における想像と現実」、美学会編 『美学』60(2)、2009、p.16-29

※上記論文は、今回の発表に関連するパネラーの既発表論文です。事前にお読みいただけると、議論の理解がより深まることと思います。
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日本サルトル学会会報第29号 [会報]

Bulletin de l'Association Japonaise d’Etudes Sartriennes N°29 novembre 2010
日本サルトル学会会報              第29号 2010年 11月

研究例会のお知らせ

 第26回研究例会が下記のように開催されることになりましたので、ご案内申し上げます。多数の皆様のご参加をお待ちしております。

日時 : 12月4日(土曜日) 14:00~17:30
会場 : 立教大学(池袋キャンパス)5号館5323教室

シンポジウム 「サルトルのイマージュをめぐって:その射程と批判的考察」

パネラー: 
荒金直人(慶應義塾大学) 郷原佳以(関東学院大学) 森功次(東京大学大学院・日本学術振興会)
司会:
 澤田直(立教大学)

演題:
・荒金直人 : サルトルの像理論における類似的表象体の存在様式について
・郷原佳以 : 遺骸としてのイマージュ――サルトルに応えるブランショ
・森功次   : 初期サルトルにおけるイメージと情動――フィクションの情動、情動のフィクション

参考論文:
・荒金直人 「サルトルの「像形成的意識(la conscience imageante)」についての研究」、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会 『慶應義塾大学日吉紀要・人文科学』No.25、2010、p.31- 55 http://ci.nii.ac.jp/naid/120002233721
・森功次「初期サルトルの芸術論における想像と現実」、美学会編 『美学』60(2)、2009、p.16-29

※上記論文は、今回の発表に関連するパネラーの既発表論文です。事前にお読みいただけると、議論の理解がより深まることと思います。

非会員の方の聴講を歓迎致します。事前の申し込み等は一切不要です。当日、直接会場へおこし下さい。聴講は無料です。

シンポジウムのお知らせ(GES)

11月26日および27日、J-F・ルエット氏主催で、サルトルの自伝に関するシンポジウムがパリでおこなわれます。ルエット氏が、プレイヤード版の自伝(Les mots et autres ecrits autobiographiques,Gallimard,2010.4)刊行に併せて行うものです。当会からは澤田直氏が参加します。

Autour des Écrits autobiographiques de Sartre
Colloque international organisé par Jean-François Louette
Auditorium de l’Institut finlandais (60, rue des Écoles)

Vendredi 26 novembre 2010
Matinée
9h Ouverture : Georges Molinié (président de l’Université Paris IV), André Guyaux (directeur duCentre de recherche sur la littérature française des XIXe-XXIe siècles), Jean-François Louette
9h30 Hélène Baty-Delalande (Nanterre) : « Les Carnets de la drôle de guerre : l’occupation du temps »
10h Michel Kail et Françoise Bagot (Paris) : « Sartre et Beauvoir : les genres de l’autobiographie »
10h30 Discussion et pause
11h Véronique Montémont (UHP Nancy, IUF) et Françoise Tenant (Paris-Nord) : « Lecture compare des Carnets et des Mots : une approche générique et linguistique »
11h30 Paolo Tamassia (Trente) : « À propos de La Reine Albemarle »
12h Discussion
Après-midi
14h30 Jacques Lecarme (Paris III) : « Il n’y aura pas eu d’autobiographie sartrienne »
15h Nathalie Barberger (Lille III) : « Grisélidis pas morte »
15h30 Discussion et pause
16h Jean Bourgault (Rouen) : « “Nous étions du même bord” – Sartre et Merleau-Ponty »
16h30 Jean-Pierre Martin (Lyon II, IUF) : « Sartre et l’amitié »
17h Discussion et clôture de la première journée

Samedi 27 novembre 2010
Matinée
9h Philippe Lejeune (Paris-Nord) : « Genèse d’une étude génétique des Mots, 1972-1996 »
9h30 John Ireland (Chicago) : « Ouragan sur Les Mots : Sartre et Castro »
10h Discussion et pause
10h30 Gilles Philippe (Paris III) : « Style mnémonique et style mémoriel »
11h Jean-Louis Jeannelle (Paris IV) : « Sartre et le mémorable »
11h30 Michel Contat (CNRS) : « Sartre et l’autobiographie parlée »
12h Discussion
Après-midi
14h30 Jacqueline Villani (Aix-en-Provence) : « “Un pauvre type qui s’était trompé de monde” »
15h Paul Geyer (Bonn) : « Sartre, du postmoderne au moderne : configurations littéraires de la subjectivité dans La Nausée et Les Mots »
15h30 Discussion et pause
16h Nao Sawada (Rikkyo, Tokyo) : « L’expérience de la guerre dans Les Chemins de la liberté »
16h30 Juliette Simont (FNRS) : « Genèse des Réflexions sur la question juive »
17h Discussion et clôture du colloque

カミュ・フォーラムのお知らせ

獨協大学で11月19日・20日に開催される、カミュ・フォーラムのお知らせを掲載します。最新情報はカミュ・フォーラムのサイトhttp://www.albertcamus.jp/に掲載されるとのことです。

獨協インターナショナル・フォーラム、アルベール・カミュ:現在への感受性
日時:11月19日(金)・20日(土) 場所:獨協大学 天野貞祐記念館

●11月19日(金)
13:15 開会式
13:30-15:30 現在の諸相:文学と政治
・ アンヌ・プルトー(西部カトリック大学)「現在、カミュが死守するもの」
・ 東浦弘樹(関西学院大学)「いまを生きる、過去を生きる —『表と裏』とそのバリエーション」
・ フィリップ・ヴァネ(獨協大学)「ジャーナリストの証言」
15:30-16:00 休 憩
16:00-18:30 カミュのアルジェリア
・ 三野博司(奈良女子大学)「ティパサのカミュ」
・ 高塚浩由樹(日本大学)「見出されない時 —『最初の人間』における現在と忘却」
・ ピエール=ルイ・レイ(パリ第三大学)「カミュの作品に現れた<アラブ人>」
・ ナジェット・ハッダ(アルジェ大学)「フランス語アルジェリア文学に宿るカミュの影」

●11月20日(土)
10:00-12:30 討論会「カミュと日本:その親和性」
・ ジャン= クロード・ジュゴン(筑波大学)「日本人の時間体験の諸側面:現在は永遠か?」
・ 稲田晴年 (静岡県立大学)「カミュと俳句」
・ 若森榮樹 (獨協大学)「カミュと日本古典詩における<現在>の意識」
・ 有田英也(成城大学)「歴史との闘い —日本の反近代主義者はカミュをどのように読んだか」
12:30-13:30 昼
13:30-14:30 講演会 I 「アルベール・カミュ。全面戦争と中庸の哲学。文学を通して考察する都市の空襲。」モーリス・ヴェイエンベルグ(ブリュッセル自由大学)
14:30-14:45 休 憩
14:45-15:45 講演会 II 「3つの相補的主題 :世俗性,聖性,節度」レイモン・ゲイ=クロズィエ(フロリダ大学)
16:15-18:30 討論+朗読:「現在のアルベール・カミュ」
・ レイモン・ゲイ=クロズィエ(フロリダ大学)
・ ナジェット・ハッダ(アルジェ大学)
・ フワ=ユング・キム(高麗大学)
・ 松本陽正(広島大学)
・ アニエス・スピケル(ヴァランシエンヌ大学)
18:30- 閉会式・懇親会

サルトル関連・会員関連出版物

・ 加藤周一著 海老坂武解説 『現代ヨーロッパの精神』、岩波現代文庫、2010年9月
・ 東浦弘樹 『晴れた日には『異邦人』を読もう─アルベール・カミュと「やさしい無関心」』、世界思想社、2010年9月
・ サルトル著 海老坂武・澤田直訳 『自由への道 5』、岩波文庫、2010年10月

日本サルトル学会  AJES  Association Japonaise d’Etudes Sartriennes
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次回例会の日程と場所のお知らせ [研究例会のお知らせ]

次回例会の日程は、12月4日(土)、場所は立教大学です。内容など詳細については、近日中に、会報および当ブログにてお知らせします。
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カミュフォーラム(獨協大学) [サルトル関連情報]

獨協大学で11月19日・20日に開催される、カミュ・フォーラムのお知らせを掲載します。最新情報はカミュ・フォーラムのサイトhttp://www.albertcamus.jp/に掲載されるとのことです。
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獨協インターナショナル・フォーラム、アルベール・カミュ:現在への感受性

日時:11月19日(金)・20日(土)
場所:獨協大学 天野貞祐記念館

●11月19日(金)
13:15 開会式

13:30-15:30 現在の諸相:文学と政治
・アンヌ・プルトー(西部カトリック大学)「現在、カミュが死守するもの」
・東浦弘樹(関西学院大学)「いまを生きる、過去を生きる —『表と裏』とそのバリエーション」
・フィリップ・ヴァネ(獨協大学)「ジャーナリストの証言」

15:30-16:00 休 憩

16:00-18:30 カミュのアルジェリア
・三野博司(奈良女子大学)「ティパサのカミュ」
・高塚浩由樹(日本大学)「見出されない時 —『最初の人間』における現在と忘却」
・ピエール=ルイ・レイ(パリ第三大学)「カミュの作品に現れた<アラブ人>」
・ナジェット・ハッダ(アルジェ大学)「フランス語アルジェリア文学に宿るカミュの影」

●11月20日(土)

10:00-12:30 討論会「カミュと日本:その親和性」
・ジャン= クロード・ジュゴン(筑波大学)「日本人の時間体験の諸側面:現在は永遠か?」
・稲田晴年 (静岡県立大学)「カミュと俳句」
・若森榮樹 (獨協大学)「カミュと日本古典詩における<現在>の意識」
・有田英也(成城大学)「歴史との闘い —日本の反近代主義者はカミュをどのように読んだか」

12:30-13:30 昼

13:30-14:30 講演会 I 「アルベール・カミュ。全面戦争と中庸の哲学。文学を通して考察する都市の空襲。」
モーリス・ヴェイエンベルグ(ブリュッセル自由大学)

14:30-14:45 休 憩

14:45-15:45 講演会 II 「3つの相補的主題 :世俗性,聖性,節度」
レイモン・ゲイ=クロズィエ(フロリダ大学)

16:15-18:30 討論+朗読:「現在のアルベール・カミュ」
・レイモン・ゲイ=クロズィエ(フロリダ大学)
・ナジェット・ハッダ(アルジェ大学)
・フワ=ユング・キム(高麗大学)
松本陽正(広島大学)
・アニエス・スピケル(ヴァランシエンヌ大学)

18:30- 閉会式・懇親会

Forum internatinal à Dokkyo

Albert Camus : le sens du présent

Vendredi 19 et Samedi 20 novembre, l'Université Dokkyo(Teiyu Amano Hall

***Vendredi, 19 novembre

*13h15 ouverture

*13h30-15h30 Aspects du présent : littérature et politique
A. Prouteau (Université catholique de l'Ouest) « Le présent ! Un enjeu vital pour Camus »
H. Toura (Kwansei Gakuin) « Vivre le présent, revivre le passé : variantes et variation de
l'Envers et l'Endroit »
Ph. Vanney (Dokkyo) « Le témoignage du journaliste »

*15h30-16h00 pause café

*16h00-18h30 L'Algérie de Camus
H. Mino (Nara-Joshi) « Camus à Tipasa »
H. Takatsuka (Nihon Daigaku) « Le temps qui ne se retrouve plus — le présent et l'oubli dans Le Premier Homme »
P.-L. Rey (Paris III) « Les "Arabes" dans l'œuvre de Camus »
N. Khadda (Université d'Alger) « L'ombre portée de Camus dans la littérature algérienne de langue française »

***Samedi, 20 novembre
*10h00-12h30 table ronde « Camus et le Japon : affinités »
J.-C. Jugon (Tsukuba) « Aspects du temps vécu au Japon : le présent est-il éternel ? »
H. Inada (Université préfectorale de Shizuoka) Camus et le haïku »
Y. Wakamori (Dokkyo) « Le présent sur l'arête — conscience du présent chez Camus et les poètes japonais du XIIIe siècle »
H. Arita (Seijo) « Combat contre l'Histoire : Camus lu par certains antimodernes japonais »

*12h30-13h30 pause déjeuner

*13h30-14h30 conférence I « Albert Camus, la philosophie de la mesure et la guerre totale.
Réflexions sur les bombardements des villes au travers de la littérature »
M. Weyembergh (Université libre de Bruxelles)

*14h30-14h45 pause

*14h45-15h45 conférence II « Un triangle complémentaire : laïcité, sainteté, mesure »
R. Gay-Crosier (Université de Floride)

*15h45-16h15 pause

*16h15-18h30 table ronde + lectures « Albert Camus au présent »
R. Gay-Crosier (Université de Floride)
N. Khadda (Université d'Alger)
H.-Y. Kim (Université de Corée)
Y. Matsumoto (Université de Hiroshima)
A. Spiquel (Université de Valenciennes)

*18h30- clôture et soirée amicale
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日本サルトル学会会報第28号 [会報]

Bulletin de l'Association Japonaise d’Etudes Sartriennes N°28 septembre 2010
日本サルトル学会会報              第28号 2010年 9月


研究例会の報告

 第25回研究例会が以下の通り開催されましたのでご報告申し上げます。

日時 : 7月10日(土曜日) 13:30~17:30
会場 : 立教大学(池袋キャンパス) 10号館X102教室

1.シンポジウム
「サルトルとニーチェ──清眞人『三島由紀夫におけるニーチェ』をめぐって」
コメンテーター: 岡村雅史 清眞人
司会者: 澤田直

 今回は初めての試みとして、サルトル以外の作家、三島由紀夫とこれに強い影響を与えたニーチェを論じる清氏の評論の、筆者自身による解説という形での発表であった。但し、それは単なる両者の比較検討ではなく、基底にサルトルの実存的精神分析を適用する点にその独自性がある。即ち、不可能なものを追求して全能力を使い尽くす様な人間を批評するには、従来の精神分析では不充分だとみなしたサルトルは『存在と無』で独自の精神分析を提唱するが、この理論を展開する代わりに、この方法でボードレールからフロベールにいたる多くの作家の分析を行なった。そこで取上げられたのは生きることの不可能な人間達であり、彼らは想像力によって生き難い現実を生きる時、妄想の中に自己を投入する。清氏はこういった人間を「想像的人間」と呼ぶ。その意味では、三島もニーチェもまさに想像的人間であり、存在論的に彼らを結びつける方法こそ、サルトルの手法である。ここに三者は関連づけられる。今回参加頂いた三島研究者の井上氏は、三島はかなりサルトルを読み込んではいたと思われるが、戦後民主主義の中で左翼思想の担い手と紹介されたこの作家に言及しにくかったとのこと。清氏のサルトル的分析には興味深いものが感じられるが、サルトル的分析ですべてを括ってしまうと、どれも同じになってしまうのではないか、アプローチの仕方に差異を見出す必要はないのか、という問いも発せられた。会場からも、呼びかけの問題、聖ジュネを通しての三島とサルトルの結びつき、文体の問題等々が問われた。清氏は、三島はデュオニュソス的なものに憧れつつも叶わず、屹立したアポロ的文体を求める作家だった。また後期サルトルの母親との身体的相互性を三島にも適用。生方氏の取り上げたマザーリングなどは呼びかけの問題に通じると説く。一方サルトルが本質論を先行させすぎた分析、例えば「幼少時のトラウマで同性愛になる」などは、異性愛のみを前提とするやや一括しすぎたものという声もあるが、氏はこの点ではサルトルがニーチェを批判することでサルトルとなりえた様に、様々な要素を異種交配しつつサルトルを批判的継承することが肝要と述べられた。こういった継承や、あまり注目されていない実存的精神分析の再考は我々サルトル研究者の今後の課題ともなろう。(報告:岡村雅史)

2.研究発表
「野生の暴力と国家の暴力──サルトル思想とf現代の日本社会」
発表者: 永野潤
司会者: 北見秀司

永野氏は今年一月に『狂気と演技—サルトル自由論の再検討』と題する博士論文を東京都立大学に提出された。今回の発表は、その一部をなす暴力論を中心に行われた。以下、その要旨である。
資本主義社会は抑圧的な社会であり、その集列的構造によってサルトルが根源的自由と考えるものを抑圧する。しかし、「抑圧する者」の暴力は構造的暴力となり、見えにくくなっている。その結果、これに抗する「抑圧される者」の暴力ばかりが見えやすくなり、非難される。
この二つの暴力の対立は二つの「司法=正義justice」すなわち「国家に属する司法=正義」と人民の「野生の司法=正義」の対立に呼応している。それぞれ背後に「国家の暴力」と「野生の暴力」が控えている。ところが「国家の暴力」は合法性を備えているため、暴力的には見えない。このような暴力が「社会的平和」を支えているため、この「平和」は暴力としての平和なのである。そして、この「国家の暴力」の合法性が民衆の「野生の暴力」の正当性を虐殺する。更に永野氏は、このような事態が今日の日本において頻発していることを例証した。
ところでサルトルは、「国家の暴力」を非難し、「野生の暴力」を「ヒューマニズムそれ自体」であるとして肯定する。後者の暴力は、非人間的な抑圧への「拒絶」であり、「新しい正義」の要求をふくんでいるからである。そして後者の暴力を認めない者をサルトルは批判する。「平和主義者」は、左翼のそれを含めて、結局のところ、「国家の暴力」や植民地主義の暴力を是認することになるとして、批判するのである。
発表後、活発に質問が寄せられ、その多くはサルトルによる暴力肯定の解釈に集中した。このような解釈は、「やられたらやりかえせ」の論理と同じになってしまわないか。サルトルが「抑圧される者の」暴力を擁護する時、そこには様々なニュアンスが加わっていないか。たとえば、ファノンを論じてサルトルがアルジェリア独立闘争における原住民の暴力を肯定する時、その闘争が独立後に報復措置を意図していないことを知っての上での肯定ではなかったか。また、このような解放を求める闘争のための暴力が独立後、セクト争いや抑圧的な暴力に転化する危険性をファノンは十分承知していたが、『弁証法的理性批判』においても扱われているそのような問題はどう考えられるべきか。
サルトルの暴力に関する考えは、彼の思想の中で、もっとも扱いにくい問題であるように思われる。このような難問に果敢に挑戦した永野氏に敬意を表するとともに、今回出された様々な質問を踏まえ、一層深い考察が今後進められることを大いに期待したい。(北見秀司)


3.総会
シンポジウム、研究発表の後、総会が行われました。

・ 今後の例会のテーマについて、会場から様々な意見が出され、議論がおこなわれました。出された案の一例です。
・ カイエのワークショップの続き
・ レヴィナスとサルトル、デリダとサルトルのテーマでのシンポジウム
・ 『自由への道』改訳をめぐって海老坂氏を中心とした企画
・ 新訳『嘔吐』出版を機会に鈴木道彦氏を中心とした企画
・ 他の学会とのジョイント企画を行う(例:ハイデガー・フォーラム、バタイユ研究会)
・ 北見氏著作書評会(2011年度以降に行う)
・ ミシェル・コンタ氏など、来日の意向がある研究者を招聘するという案(予算は当学会以外から出す形になる)(2011年度)

・ 会則の改訂案(会長に関する条項を追加)が提出され、会場の承認を得ました。
・ 鈴木(道)の会長留任、澤田・鈴木(正)黒川・岡村・永野の理事留任、また、あらたに森功次(東京大学大学院)の理事就任が、会場の承認を得ました。

事務局からのお知らせ

☆ 総会の報告でも述べましたが、今後の例会の企画を広く募集しています。とりあげてほしいテーマがありましたら、ぜひ事務局までお知らせください。
☆ 若手のかたをはじめとして、研究発表の発表者も募集します。自薦他薦を問いませんので、事務局までお知らせください。
☆ GESで、Ecrits de Sartre増補改訂版の計画があります。従来版にある明らかなまちがいにお気づきの方は、澤田、あるいは事務局までお伝えくださると幸いです。
☆ 日本で発表された研究の書評をGESのbulletinに載せることが可能です。執筆の予定がある方は、澤田、あるいは事務局までご連絡ください。


サルトル関連出版物

・ 今村和男著『人間の出口』杉並けやき出版、2007年12月
(70年安保世代の著者が、学生時代から現在までいかにサルトルを読みつつ社会批判、資本主
義批判の視線を培ってきたかを熱く語る貴重な証言)

日本サルトル学会会則

日本サルトル学会は一九九五年六月、鈴木道彦、海老坂武、石崎晴己、澤田直を発起人として、世代を越えたサルトル研究者の自主的組織として成立したサルトル研究会を改組改称したものである。会の活動の指針として、以下の会則を定める。

第一条 本会は日本サルトル学会Association Japonaise d’Etudes Sartriennnes と称する。
第二条 本会は会員相互の研鑽を通じて、サルトル及び関連分野の研究とその発展を図ることを目的 とする。
第三条 本会はこの目的を達成するために次の事業を行う。1 研究発表会、研究会等の定期ならび随時開催。2 会報、資料集の刊行。3  サルトル関係資料、研究文献の情報整理及び紹介。4 国内外の関連分野の研究団体との交流。5 その他必要な事業。
第四条 本会は上記の目的に賛 同する研究者をもって会員とする。二、会員は本会の事業に参加し、またそれに関する意見を述べることができる。三、会員は別途定める年会費を年度初めに収 めるものとする。四、三年にわたり会費を滞納した場合は、退会したものとみなす。
第五条 本会は年一回定期総会を開催する。また必要に応じて理事会の発議により臨時総会を開催することができる。総会は最高の議決期間であり、会の活動方針を決定し、理事会より必要な報告を受けかつ承認する。 二、総会は出席者の過半数により議決することができる。
第六条 本会に次の役員をおく。任期は二年とする。役員は総会の承認を受けなければならな い。1 会長 会長は本会を代表する。理事会の推薦に基づき、総会にて承認される。2 理事会 若干名。総会において選出する。理事会は会の運営と事務にあたる。3 会計監査。理事会の推薦に基づき総会において選出する。二 理事会は総会において一般報告、会計報告その他の報告及び提案を行い、決定された方針を執行する。会計監査は年度事に会計を監査する。
第七条 本会則の改正は発起人、理事会あるいは出席会員の発議に基づき、総会の議決を経てこれを行う。
細則第四条三、 細則、年会費は 一般会員二〇〇〇円、学生会員一〇〇〇円とする。
二〇〇〇年七月(二〇一〇年七月改訂)


日本サルトル学会  AJES  Association Japonaise d’Etudes Sartriennes
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