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北米サルトル学会 第22回研究例会報告(関 大聡) [サルトル関連情報]

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北米サルトル学会 第22回研究例会
The 22nd Meeting of the NASS (North American Sartre Society)

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北米サルトル学会WEBサイト
プログラム(pdf)

参加報告 関 大聡


 11月4日(金)から6日(日)までの三日間、北米ノース・カロライナ州ノース・カロライナ大学ウィルミントン校で北米サルトル学会の第22回研究例会が催された。前回はペンシルベニア州(イースト・ストラウズバーグ大学)、前々回はカナダのオンタリオ州(ウィンザー大学)と、毎年この時期に北米の都市を開催地とする例会であるが、日本では必ずしも馴染みがないかもしれない。報告者は今回発表のために三日間通して参加する機会に恵まれたため、今後日米両会の参加・交流が進むことを期待して、この報告小文を寄せることにしたい。

参加まで:国際学会は参加自体のハードルが高いため、そこに至るプロセスから記述した方が良いだろう。大まかな情報はFacebookのNorth American Sartre Society (NASS)をフォローすることで確認されたいが、まず七月末日を目途に発表募集(CFP)がかけられ、主催側に2頁以内の要旨を提出する。それが受理されれば発表原稿を用意しつつ渡航の準備を進めることになるが、三日間の学会はやはり規模が大きい。参加登録がオンラインで行われるだけでなく、ホテルを学会側が押さえているため、空港からの無料シャトルバスも含めて、不慣れな海外であってもある程度安心することができる(例年のことか不明だが、大学院生は相部屋を選べば宿泊費補助も受けられた)。渡航費は無論自前であるが、報告者は所属する大学院の旅費補助プログラムに申し込む幸運を得ることができたため、同種の補助を探してみることもできるだろう。

学会当日:さて、北米のサルトル学会は三日間で50人以上の発表者に加え、基調講演、及び新刊書についての書評セッションも用意されており、規模で言えば世界でも最大のものである。今回の全体テーマはラッセル法廷の開廷50周年を記念して「実存主義とアンガジュマン:実存主義の歴史と未来Existentialism and Engagement: The History and Future of Existentialism」と題されたが、毎回あらゆる角度からのアプローチを受けいれている(一般的な傾向として哲学研究が主流ではあるとはいえ)。参加者は確認のかぎりでは、アメリカ、カナダ、イギリスを中心に、南米、イタリア、オーストリア等から来ていたようである(イランからカナダに移住した一人を除けばアジア系は私だけだったと思われる)。身分も、大学研究者、学生だけでなく在野の研究者、精神科医等を迎える等、研究を開こうとする姿勢には着目されよう。

発表英語ないしフランス語を選択することができるが、後述するように仏語のパネルは報告者が参加した一つだけであったから、広いリアクションを期待するのであれば英語での発表を考えた方が得策かもしれない。コーヒー・ブレイクやランチを挟みながら全部で七つのセッションがもたれ、各回2-3のパネルが同時に進行することになる。全体の雰囲気を俯瞰するために各パネルのテーマを列挙してから、報告者が参加しえたものについては短く紹介したい。
1A「自由、決定論、行為体」、1B「本来性、自己欺瞞(Bad Faith and Self-Deception)」、1C「『弁証法的理性批判』への新たなアプローチ」
2A「文学とプラクシス」、2B「政治哲学I:大地へのアンガジュマン:惑星的危機へのサルトル的介入」、2C「コンフリクト、連帯、政治」
3A「政治哲学II:実存主義と社会的アンガジュマン」、3B「サルトルの実存主義におけるニヒリズム、不条理、オプティミズム」、3C「すべては許されているのか? サルトル倫理学の考察」
4A「精神分析、精神治療、情動」、4B「政治哲学III:拷問、テロリズム、中東」、4C「劇作家サルトル」
5A「政治哲学IV:人種とジェンダーへのサルトル的アプローチ」、5B「『弁証法的理性批判』と戦後政治」、5C「伝記、文学」
6A「書評セッション:ノレーン・カワージャ著『実存の宗教 哲学における禁欲主義 キルケゴールからサルトルまで』」、6B「瞑想、意識、エゴ」
基調講演(Sarah Bakewell)「如何にして心配するのを止めてサルトルを楽しむか」
7A「『反逆は正しい』についての鼎談」、7B「身体へのサルトル的アプローチ」

1B「本来性、自己欺瞞」
 まず、サルトルの初期の存在論と倫理を結ぶ鍵概念である「本来性authenticity」をめぐって三者三様の発表が繰り広げられた。本来性の自覚を社会の発展の契機として捉えようとするもの、『倫理学ノート』を取り上げて自己欺瞞から完全に解放された本来性は不可能であるとするもの、自己欺瞞における反省的意識の構造について再検討するものがあった。方法の点で興味深く思われたのは最後のもの(マイヤ・ジョルダン)で、分析哲学の方法を用いた議論の展開は印象的だった。

2C「コンフリクト、連帯、政治」(仏語)
 南米におけるサルトル受容を主題とした博士論文を用意しているというアンドレア・モッタの発表はラッセル法廷の争点を明らかにするもので、この民衆法廷への参加者にアレホ・カルペンティエルやフリオ・コルタサルのような作家も名を連ねていることを知られたことも、当時の知的シーンにおける南米作家のプレゼンスを考えるうえで興味深い。私の発表はサルトルのテクストにトロイアの伝説上の女性予言者カッサンドラの名が現れる幾つかの例からコミュニケーションの特殊な在り方としての予言について考察するもので、いささか意表を突くようなテーマだったと思うが、最終的にはサルトルにおけるペシミズム/オプティミズムという大きな問題系に着地したことで、会場から発表者の念頭にはなかった示唆を受けることができた。

3B「サルトルの実存主義におけるニヒリズム、不条理、オプティミズム」
 まさしく「実存主義的」と呼ぶべきテーマ群である。サルトルの議論において死は生の意味を奪うものではなく(剥奪説)、その意味を脅かすものである(脅威説)という主張を提示するもの、フォイエルバッハとの比較において、サルトルのヒューマニズムの無神論的ラディカリズムを強調するもの、『存在と無』のペシミスト的な存在論を敢えてオプティミズムの書として読もうとするもの、これら三つの発表が提示された。最後のものはテクスト的な裏付けは難しそうだったが、幸福や歓びと言ったテーマはRobert Misrahiによる一連のサルトル批判の主軸になっているだけでなく、2011年の仏語『サルトル研究』誌のテーマがBonheurs de Sartreでもあったことからも、展開可能な余地のある議論と思われた。

4B「政治哲学III:拷問、テロリズム、中東」
 本パネルは今回の学会のなかで最もアクチュアルなテーマを扱ったものだろう。最初の発表は、イラク戦争時の米軍による拷問行為の正当化において上層部が用いた理屈を具体的に取り上げつつ、拷問をめぐる論理そのものが歪められている(=拷問されている)ことを、自己欺瞞の概念を手掛かりに論じたもの。次の発表はイスラム過激派のテロを素材として、テロリズムは『倫理学ノート』に扱われる対抗暴力たりうるか? と問うもの。他者の自由の否定であるテロリズムは対抗暴力たりえないとする結論まで議論は導かれたが、しかしそれならば、どのような対抗暴力であればその批判から逃れ得るのか? これはサルトルの暴力論の射程を測る根本的な疑問として残るだろう。最後の発表は、中東における既存の価値観の崩壊が神の死という実存主義的な問いを引き起こすものであることを論じるものであった。同じ中東におけるサルトル受容については2010年の『サルトル研究』誌でも興味深い論文が読めるが、サルトルの徹底的な無神論的姿勢がイスラムの風土にどう受け入れられうるかという問いは、文明の対話の一側面として現代の関心に沿うものだろう。

5C「伝記、文学」
 発表は二つで(ボードレールについての発表者は欠席)、一つ目の発表はブラジルの作家クラリッセ・リスペクトールを実存主義の作家として検討するというもの。思想的文脈ではエレーヌ・シクスーとの関係が取り沙汰される作家ではあるが、彼女を読むための実存主義という新しい視座を与えられたのは発見であった。二つ目の発表は伝記作品における幾つかの争点と自伝に対する批判的距離を対照的に論じつつ、サルトルの議論に潜むマチズモの要素を、カストロ訪問のエピソードを交えつつ論じるものであった。質疑でサルトルのエクリチュールの一つのモデルとして読者を魅了する欲望が論じられたが、そこには発表者(ジョン・アイアランド氏)の著書であるSartre. Un art déloyal (Éditions Jean-Michel Place, 1994)の議論(特に第六章)からの一貫性を見出すこともできよう。

6A「書評セッション:ノレーン・カワージャ著『実存の宗教 哲学における禁欲主義 キルケゴールからサルトルまで』」
 近刊として同名書を上梓する著者を招いての書評セッション。この時点では肝心の著書が刊行されておらず、内容については登壇者の紹介から想像することを余儀なくされたが、実存主義と禁欲主義を結ぶ「精神的労働spiritual labour」としての側面をキルケゴール、ハイデガー、サルトルを中心に読み解くものであると言えば、その議論の背景にミシェル・フーコーの晩年の講義やピエール・アドの「霊操spiritual exercise」としての古代哲学という論点との近さを見出すことができよう。翌朝ビーチで偶然著者に会ったときにこのことを尋ねてみると、議論の方向が予断をもって受け入れられることを避けるためにむしろ差異化に努めたとのことだったが、宗教史のコンテクストから実存主義に新たな視座を与える試みとなれば、これは興味深いものであると期待される。

基調講演「如何にして心配するのを止めてサルトルを楽しむか」
 講演者のサラ・ベイクウェルは『実存主義者のカフェで:自由、存在、あんずのカクテルAt the Existentialist Café: Freedom, Being, and Apricot Cocktails』の著者。2016年に刊行されると間もなくオランダ語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語に翻訳された同書は、哲学と伝記を折り合わせたストーリー・テリングによって多くの読者を魅了した今年のベストセラーである。講演では、著者自らがいかにして『嘔吐』の著者に出会い、偶然性の思想を軸に、不安の思想という危なっかしいものに対する「不安」を解消するようになったかが語られた。

基調講演の会場.jpg基調講演の会場

7A「『反逆は正しい』についての鼎談」
 近いうちに『反逆は正しい』(1974)の英語訳が刊行されるらしく、それを期しての同書をめぐるパネル。当時の時代的コンテクストについての紹介や、サルトルにおける老齢の意味合い、フェミニズム的観点からの批判的検討、同書の中心をなすマオイズムの今日的争点など、多くの議論が交わされることとなった。年配のサルトリアンたちによる鼎談のため、じっさいに60-70年代のパリの空気を呼吸していたひとも少なくなく、現役のマオイストもそこにはいる。これほど幸福な時代錯誤も稀有なものだろう。

感想:以上、朝から夜まで三日間、休憩時間や会食も含めて濃密な時間を過ごすことができたが、毎年これほどの参加者の募ることができるのはアメリカという強い求心力を持つ土地ならではのことだろう。そこにはサルトルの著作全体を大胆に理解しようとする企図が感じられ、また少なからぬ発表はサルトルのテクストに即して読解すると言うよりはそこから出発して現代の事象を分析するツールとして用いるといったものであった(無論、その結果として議論がしばしば玉石混交となるのは避けがたいことではある)。そこには良し悪しもあろうし、日本のどちらかと言えばテクストを精緻に理解しようとする研究とは傾向の違いを見て取ることもできよう。とはいえ、なるべくテクストに寄り添うことを信条とする者にとっても、そこからさらに飛躍して何を語ることができるかを考えさせるという意味では、生産的な対話の場が用意されているように感じた。

 また限られた観測範囲での印象ではあるが、英語圏と仏語圏の研究の間にはかすかな溝があるようにも思われる。発表のなかで先行研究への言及が行われるときには、トマス・フリンやロナルド・アロンソンを筆頭とする英米の大家の著作が参照されることが多く、研究の蓄積において独自の発展を遂げているのではないか。それは英語圏における大学の研究動向(近年は分析哲学の影響が否みがたい)のみならず、政治状況とも関連していよう。とりわけ(今回のテーマの影響もあるとは思うが)『弁証法的理性批判』を中心とする政治哲学への関心は高く、それを現代の状況(環境問題、現代戦争、テロリズム、ジェンダー)に接合させようとする企てが多くみられた。地球規模で起きている変革はサルトルの時代のそれとは大きく異なるものとなりつつあるが、歴史を知解可能なものにしようとするサルトルの著作の「活用」に踏み出すことは益々重要な試みになっている(これは相部屋の博士の学生オースティンが断言していたことでもある)。私はとりわけ中東情勢に関する分析に興味を感じた。活字で読めるものとしてはジョン・アイアランド氏(その活躍は両大陸を跨ぐものであるが)の以前の論考(« Sartre and Scarry: Bodies and phantom pain »)を挙げておきたい。エレーヌ・スカリーによる身体的苦痛の現象学的分析を導きの糸として、サルトルの戯曲テクストにおける拷問の主題を扱う論考は多くの知見を含むものであり、この方向は今後さらに発展していくであろうし、特別の注意を払う必要があるように思われる。

 今回の滞在は、11月8日の合衆国大統領選挙直前に該当していた。空港からホテルに向かうシャトルバスの運転手と話していたとき、ノース・カロライナでトランプ氏は勝てないという予測を聞かされたが、蓋を開けてみれば同州は氏の圧勝。学会のなかで直接俎上に上ることはなかったものの、国の運命を大きく左右する選挙に対する関心と緊張は顕著なものであったように思われる。最終日、全パネルが終ったあとに若手の研究者たちと昼食をとる機会を持ったときには、11月にもかかわらずビーチを臨むホテルには夏のような陽光が注ぎ、そこでは彼らの忌憚なき意見をうかがうこともできた。そのあとすぐに帰国せねばならなかったのは残念だが、このタイミングのアメリカに行き、サルトリアンたちのリアクションに接することができたのは貴重なことである。世界の研究動向に刺激を受けつつ、日本の研究のありうべき方向について考えることができればと思う。

ビーチを臨むホテルにて.jpgビーチを臨むホテルにて




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