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日本サルトル学界会報第37号 [会報]

研究例会の報告

 第31回研究例会が以下の通り開催されましたのでご報告申し上げます。

日時 : 7月6日(日) 14:00~17:00
会場 : 立教大学(池袋キャンパス)5号館5210教室

研究発表1
「サルトル/ファノン試論」
発表:中村隆之(大東文化大学)
司会:鈴木正道(法政大学)

 中村氏は、サルトルの反植民地主義という戦いをフランツ・ファノンとの関係を軸に考える。二人の思想家の互いに投げかけた呼びかけを、当時の読み手の姿勢を視点に入れながら辿り、さらに現代に結び付けて考えようとする発表である。
 中村氏は、まずサルトルの状況論を分析する。サルトルは戦後すぐに、アンガージュマンという考えを掲げ、時代に即して書くことを心がけ、それゆえに時代状況の変化にともない忘れられる傾向があった。またユダヤ人問題に関して「本源的ユダヤ人/非本源的ユダヤ人」という軸で考察しているように、実践的というよりも倫理的な観点から彼の状況に対するアンガージュマンは展開した。
 レオポルド・サンゴールの詩選集への序文「黒いオルフェ」は、サルトルの、ネグリチュードという呼びかけに対する答えと考えることができる。ユダヤ性とは異なり見た目で明らかな肌の色がここでは扱われている。しかし白と黒の対立は止揚されるべきものとして捉えられ、また階級の対立という普遍的な問題に対して個別的で二義的な問題とされる点で、思弁的な結論となっていると中村氏は指摘する。
 歴史における止揚の一段階としてのネグリチュードという考えは、ファノンにとっては受け入れがたかったと中村氏は続ける。サルトルは、ファノンの『血に呪われたる者』の序文(1961年)を彼と対話を行なった後で書いた。アルジェリア問題にも取り組んでいたサルトルは、ファノンの著作の要を成す暴力がフランス側の暴力の跳ね返りであると述べ、アフリカにおけるフランス植民地の問題に正面から組み合う。その意味でサルトルはファノンの呼びかけを受けた上で、フランスの左派知識人に呼びかけを行なったと言える。
 会場からは、はたしてサルトルにとって、階級問題こそが普遍的で他の人種問題などは個別問題にすぎなかったのかという疑問が出された。あの時代においては確かにそう考える傾向があったようだが、ファノンの影響もあり、アルジェリア問題などから考え方が変っていったのではないかという答えがやはり会場から出た。また発表には、二人の思想上の交換に関する具体的な考察が足りないのではないのかという指摘もあった。司会者としては、自分の扱う題材に関して様々な資料を集め、頭の中で消化し整理した上で行なった好発表だったと考えた。(鈴木正道)


研究発表2
「サルトルの思想と生における「遊戯」について」
発表者:関大聡(東京大学大学院)
司会:翠川博之(東北大学)

 サルトルの生を理解するうえでは「遊戯jeu」が鍵語となる。その根拠として、関氏はまず『奇妙な戦争』から40年3月9日の日記を引用した。「私の人生に何かしら一貫性があるとすれば、それは私がかつて一度も真面目に生きたいとは思わなかったことである」。一般に「遊戯」は楽しみ以外に目的を持たない非現実的活動とみなされるが、この戦中日記でサルトルは「遊戯」の対極に「くそ真面目な精神」を置いて、むしろ後者を批判している。決定論的な「くそ真面目な精神」に対し、「遊戯」とは自由な自律的行為であり、だからこそ彼は、続く11日の日記に「人は遊戯しているときにしか十全に人間ではない」というシラーの言葉を引き、これに「全面的に同意する」と記しているのである。
 「遊戯」をめぐるサルトルとシラーの思想的近親性を論じた先行研究、ならびにシラーとニーチェの「遊戯」を比較した先行研究に導かれ、関氏はそこからさらにニーチェとサルトルを同じ系譜のなかに位置づけようとする。シラーは『人間の美的教育について』で、人間の現実的「素材衝動」と理念的「形式衝動」の間に、現実性と形式性の調和、偶然性と必然性の調和、忍従と自由の調和としての「遊戯衝動」を設定した。これを模してニーチェは『悲劇の誕生』を著し、「素材衝動」に「アポロン的衝動」を、「形式衝動」に「ディオニュソス的衝動」をそれぞれ対応させて、その間に「美的遊戯としての芸術」を位置づけている。彼から強い影響を受けたサルトルは、芸術の創造という美的遊戯を『嘔吐』の創作で実践したのではあるまいか。これが関氏の見立てである。
実際、サルトルは『存在と無』で「遊戯=スキー」を論じ、「スポーツは芸術と同様、創作的である」と表現している。ただし、問題がひとつ。ここでは「遊戯=スキー」が自然の「我有化」をめざす活動として記述されてしまっている。関氏によれば、これは現実世界に根をおろすことを拒絶する「滑走的遊戯」、「ひとり遊び」である。「本来的遊戯」とは、世界や他者の我有化を目指すものではなく、世界と他者に開かれたそれ自体自由な活動でなければならない。以後のサルトルの著作は、芸術創作と政治の領野を通じて、そのような「本来的遊戯」を追求してゆくものになるだろう。今後の研究をこのように展望するかたちで本研究発表は閉じられた。
 続く質疑応答では、引用箇所の適切さに関する疑義、発表で使用された語彙の正確な説明を求める質問が提起された他、« jeu » という語が含む「賭け」や「演戯」といった多様な意味にも目配りが必要ではないかという意見も出された。これまであまり俎上に載せられたことのない主題に着目したユニークな研究に、さらなる発展を期待するコメントが質問や意見とともに多く寄せられた。(翠川博之)


研究発表3
「サルトルとバタイユ――不可能な交わりをめぐって」
発表:岩野卓司(明治大学)
司会:澤田直(立教大学)

 サルトルとバタイユが同時代の思想や文学のステージでどのように関わったのか? この大きな問いに岩野氏はきわめて明確なパースペクティヴを引きながら、とくに戦中期から戦後すぐの時期にかけての両者の作品に焦点をあてて、見事なサーベイを行った。
 サルトルとバタイユは、ある種の近さを持った同時代の二人であるが、その近さにはすでに遠さが孕まれている、と岩野氏は指摘し、ブランショの小説『アミナダブ』に対する二人の解釈から考察を始める。サルトルは、『アミナダブ』をカフカの『城』に似た幻想文学と捉え解読を試みるのだが、その根底にあるのは「表」と「裏」の二元論である。幻想文学が示しているのは、「裏側」の「あべこべの世界」であり、それをひっくり返せば「表側」の日常の世界となる。一方、バタイユは『有罪者』の中で、『アミナダブ』の世界を日常の世界を反転したものとはとらえずに、「夜」の神秘経験としてそのまま肯定する、という違いがある。
 同様の違いは「新しい神秘家」での、サルトルによるバタイユ批判にも現われている。バタイユの「非-知」、「非―意味」、「無」を、サルトルはそれらの実体化して批判するが、その理論的根拠は、「存在は存在し、無は存在しない」というパルメニデス以来のテーゼだ、と岩野氏は述べる。つまりバタイユが「存在」でも「無」でもなければ、「存在」でも「無」でもあるような何か、知でもなければ非-知でもなく知でもあれば非-知でもある何かを語ろうとしているのに、サルトルはそれを二元論で割り切ろうとしているのだ。
 『嘔吐』と『内的経験』の間には、「瞬間」、「沈黙」、「絶対的なものの魅惑」、「木々を通しての神秘体験」といった類似が見られるが、決定的な相違もある。そのなかでも最も重要なものが、サルトルにおける「余計なもの」とバタイユにおける「最後の人」の違いであり、これはコミュニケーションという重要な問題系へとつながっている。
 岩野氏は両者のテクストを丹念につきあわせ、丁寧に跡づけながら、バタイユが、極点に向けて問いを徹底する傾向をもつのにたいし、サルトルのほうは究極までは行かずに知の間を絶えず移動する者と見なすことができると結論づける。ただし、このサルトルの不徹底さこそがサルトルの多元性、多産性の源であると補足もする。
 発表に続く、質疑でも多くの発展的な対話が続けられ、このような同時代の思想家や作家との関係を再検討することの意義が十分に感じられた。たいへん充実した発表と討議であった。(澤田直)

総会報告
・ 昨年度の会計報告、本年度の予算案ともに承認されました。詳細は添付の別紙をご覧ください。
・ 総会の最後には、竹内芳郎著『討論 野望と実践』閨月社(p.845)で述べられていた近年のサルトル研究に対する批判をめぐって、少しながらディスカッションが行われました。
次回研究例会のお知らせ
次回の研究例会は12月を予定しています。


サルトル関連出版
 渡部佳延 『サルトル、存在と自由の思想家』 トランスビュー 2013年8月.
 渡部佳延 『サルトル、世界をつかむ言葉 』 トランスビュー 2013年8月.
(渡部佳延氏は、1998年「朝西柾」の筆名で『サルトル 知の帝王の誕生』(新評論)を出版されています)。
 西永良成 『グロテスクな民主主義/文学の力 ユゴー、サルトル、トクヴィル』 ぷねうま舎 2013年8月.

また、Études sartriennesの最新号に、サルトルのル・アーブル時代の講演草稿が掲載されております。
・ Jean-Paul Sartre, « La technique du roman et les grands courants de la pensée contemporaine. Conférences de la Lyre havraise, novembre 1932-mars 1933», in Études sartriennes, no16, Ousia, 2012.
アンドレ・ジィド、オルダス・ハクスリー、エドゥアール・デュジャルダン、ジェイムズ・ジョイス、ヴァージニア・ウルフ、ジョン・ドス・パソスらに触れながら、サルトルの小説観・文化論が語られています。初期サルトルの思考が読み取れる貴重な論考がこのたび初めて公開されておりますので、関心をお持ちの方はぜひ御覧ください。(http://www.ges-sartre.fr/etudes-sartriennes.html


発表者募集のお知らせ
日本サルトル学会では、発表者を随時募集しております。発表をご希望の方は、下記の連絡先までご連絡下さい。なお例会は例年、7月と12月の年二回行われております。
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